「倫雅美術奨励賞」30周年に寄せて
「倫雅美術奨励賞」30周年に寄せて
西山純子
もう10年が経つのかと驚くが、私は「日本の版画Ⅴ・1941-1950・「日本の版画」とは何か」という長いタイトルの展覧会で第20回倫雅美術奨励賞をいただいた。明治期の末から戦後にかけての日本版画を総覧するシリーズ展の、最終回となった展観であった。
そもそもこの企画は、千葉市美術館が開館した頃に当時の学芸係長・浅野秀剛氏がふと思いつき、学芸員になったばかりの私に振ったものであった。今なら「無茶振り」というところだ。岩切信一郎先生という強力なアドバイザーに恵まれたものの、私にとって日本の近代版画は未知の世界で、小野忠重著『近代日本の版画』をまるごとコピーし、傍線を引きつつ熟読することから始めるしかなかった。それから足かけ12年、展覧会は第5弾まで回を重ね、この分野がすっかり好きになったが、展覧会にはさしたる反響もなく、まるで自信を持てずにいた。美術館の学芸員は恵まれないことが多く、聞こえてくるのは額が曲がっている、会場のキャプションや図録に誤字がある、といった指摘ばかり(誤字はもちろんあってはならないが)。実際未熟な仕事だったに違いないのだが、倫雅賞という身に余る大きな賞にはとてつもなく励まされた。当時の館長・小林忠先生に報告したところ、「地味な仕事でも見ている人はいるものですよ」とのメールをいただき、ひとりパソコンの前でジーンとしたことを思い出す。
以来、変わらず千葉市美術館に在籍し、近代版画周辺の展観を細々と続けてきた。この分野はマイナーなままで研究者が激増している気配もなく、歳を重ねてもミスが多いことも変わらないが、展覧会を組み立てるなかで「これでよいのか?」と自問自答するたびに、かつて評価していただいたことが気持ちの大きな支えになっている。今さらながら改めてお礼申しあげたい。
個人的な話になるが、顕呈式の際、私は超高齢出産を半年後に控えた妊婦だった。浅野徹先生からお知らせいただいた時も実は具合が悪く、電話口まで這って行ったのだった。式では嬉しい反面、アルコールを抑えねばならない辛さに難儀した。無事生まれた息子は9歳を過ぎ、そろそろ二分の一成人式だ。第20回という切りのよい数字だったから、子供の年齢とともに思い出せるのもまたありがたいことである。
自分の仕事はともかく、地道によい仕事をしている人はたくさんいるが、本人には評価が見えにくい。展覧会を見て興奮し、図録に感心しても、見ず知らずの担当者を呼び出して激励するのも不自然だし、たとえ会えても感想をうまく伝えるのは至難である。倫雅美術奨励賞という貴重な賞が、これからも将来ある研究者たちに勇気を与えてくれることを、心より願っている。
(千葉市美術館上席学芸員)